イタリアが人気なのである。ファッションやフードではなくジャズの話だ。若いリスナーからの再評価もあって、50~60年代に生まれたモダン・ジャズ盤への注目が高まる今日この頃。その歴史を少し覗いてみようか
近頃イタリアのジャズが熱い。良盤のリイシューや画期的な新作も目につき、注目度が急上昇中だ。まず歴史を振り返ってみると、かの地のジャズは第二次世界大戦で降伏した43年からUS文化が流入して花開き、60年代に絶頂を迎えた。むろんジャズ自体は20年代以前から欧州の都市カルチャーに根付いていて、イタリアも同様であった。それにムッソリーニ首相は芸術に寛容で、ジャズメンを取り巻く状況もドイツや日本とは違い、チャーリー・パーカーたちがNYで推進していたジャズのモダン化にもいち早く反応したはずだ。その下地があってこそ、後のバッソ・ヴァルダンブリーニ楽団の芸術も成立したのだろう。
イタジャズ的な音の特徴を一言で説明するのは難しいが、快楽原則に忠実なある種のわかりやすさと洗練の深みにひとつのヒントがある。ピエロ・ウミリアーニやエンニオ・モリコーネなどシネ・ジャズの巨人たちの仕事に触れても、そこには血というべきものを感じる。またいまのブラジル人のルーツに多くのイタリアンがいることも忘れてはいけない。イタジャズのダンサブルなグルーヴのキレと哀愁に、ラテン音楽のリンクを感じるのもおもしろい。あと南欧のロマ音楽との繋がりも外せないのである。
そんなイタジャズの輝きを現代から照射するのは、クラブ・ジャズ・レーベルのスケーマを取り巻く才能たちだ。ニコラ・コンテは黄金期の再生を目論み、スケーマ・セクステットでバッソ・ヴァルダンブリーニ楽団のマジックを再現。ジェラルド・フリジナはクラーク=ボーラン楽団の名プロデューサー、ジジ・キャンピ絡みのレア音源を復刻するため、スケーマ傘下にリアワードを立ち上げた。また著名レコード・ディーラーのパウロ・スコッティ(彼もスケーマでコンピを編んでいる)はデジャヴを興して、イデア6というプロジェクトで重鎮のジャンニ・バッソやディノ・ピアナを動かし、最高の成果を実現した。
さて、もうひとつ重要なのはここ数年、欧州各地で〈モダン・ジャズ復興〉が目覚ましいことだ。ファイヴ・コーナーズ・クィンテットの成功が象徴的だが、同様のヴァイブを放つ音が続々と登場し、イタリアではファブリツィオ・ボッソの率いるハイ・ファイヴ・クィンテットがハード・バップに向かった。誤解をおそれずにいえば、ニコラやジェラルド、トーマス・カリオは〈ファンキー〉や〈スピリチュアル〉など、すでに掘り起こされた感の強いタームのネクストとして、ヨーロッパの〈モダン〉に向かったのではないか。そしてイタリアのジャズメンも、そんなDJたちと今日性を分かち合い、いまに響く〈モダンなるイタジャズ〉を標榜しているのだ。
(池谷修一)