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第103回 ─ サディスティック・ミカ・バンドをお客様に〈Ho!楽〉新連載がスタート!!

〈ミカ・バンド以後〉も日本のミュージック・シーンをアップデートし続ける、メンバーたちのその後を追跡!

連載
360°
公開
2006/11/02   19:00
更新
2006/11/02   22:10
ソース
『bounce』 281号(2006/10/25)
テキスト
文/久保田 泰平、村尾 泰郎

加藤ミカ
 バンド名の由来にもなっている彼女は解散後にロンドンへ移住し、料理研究家として活動。その傍ら、94年にはソロ・アルバム『ジャラン・ジャラン』を発表している。ちなみに、YMO『増殖』収録の“Nice Age”で、ポール・マッカートニー逮捕のニュースを読み上げているのは彼女である。
(久保田)

加藤和彦
 ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーとしてデビューを果たした加藤和彦。当時からフォーク、ロック、サイケデリックと海外の音楽シーンをリアルタイムで吸収し、自身のサウンドに昇華させていった加藤だが、そのハイカラなセンスこそがサディスティック・ミカ・バンドへと繋がるわけで。解散後、ソロになってからはバハマやベルリンを遍歴しながらヨーロッパ的洗練を極め、『あの頃、マリー・ローランサン』など、成熟したシティー・ミュージックの名作を数多く発表。最近ではサントラ『パッチギ!』などを手掛けつつ、悠々自適の音楽生活を送っている模様。
(村尾)

高中正義
 成毛滋、角田ヒロと結成したフライド・エッグでの活動を経て、ミカ・バンドの結成メンバーとして参加。バンド解散後は、加藤和彦、ミカ以外のメンバーでサディスティックスを結成するも、ほどなくしてソロ活動へと移行。フュージョン・シーンを代表するギタリストとして脚光を浴び、ヒット作を連発する。80年代当時、メロウで清涼感あるそのサウンドは山下達郎や角松敏生らと共に〈リゾート・ミュージック〉の代名詞としてもてはやされた。その後もコンスタントに作品を発表し続け、別掲の最新作『SADISTIC TAKANAKA』ではミカ・バンドの楽曲をラテン・アレンジで甦らせている。
(久保田)

小原 礼
 正式メンバーとしては最初のベーシストとしてバンドに加入するも、74年の『HOT! MENU』発表後に脱退し、大村憲司らとバンブーやカミーノといったバンドで活動した後に渡米。イアン・マクレガンやボニー・レイットなどのバンドで活躍する。その後は作曲家/プロデューサーとしても活動し、近年は妻である尾崎亜美や奥田民生らのツアー・メンバーとしても活躍している。
(久保田)

後藤次利
 ブレッド&バター、小坂忠、吉田拓郎、ティン・パン・アレーなどにおけるセッション/サポートを経て、小原脱退後のベーシストとしてミカ・バンドに加入。バンド解散後はアレンジャー/作曲家として一世を風靡し、沢田研二をはじめ、近藤真彦、吉川晃司、おニャン子クラブなどを手掛ける。
(久保田)

高橋幸宏
 ミカ・バンドで本格的にデビューした彼の名をさらに世界中に知らしめたバンドといえば、サディスティックスを経て次に参加したYMOだろう。YMOでテクノ・ブームを巻き起こす一方、ソロ・アルバムも定期的にリリースし続けた高橋は、ピエール・バルーとの交流でも知られるようなヨーロッパ趣味を覗かせながら、ロマンティックなサウンドを紡ぎ上げていった。最新ソロ作『BLUE MOON BLUE』でも、そのナイーヴなタッチは健在。一方で、細野晴臣とのユニット=SKETCH SHOWではエレクトロニカにアプローチするなど、音の着こなしは、いまもってエレガントだ。
(村尾)