加藤ミカ
バンド名の由来にもなっている彼女は解散後にロンドンへ移住し、料理研究家として活動。その傍ら、94年にはソロ・アルバム『ジャラン・ジャラン』を発表している。ちなみに、YMO『増殖』収録の“Nice Age”で、ポール・マッカートニー逮捕のニュースを読み上げているのは彼女である。
(久保田)
加藤和彦
ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーとしてデビューを果たした加藤和彦。当時からフォーク、ロック、サイケデリックと海外の音楽シーンをリアルタイムで吸収し、自身のサウンドに昇華させていった加藤だが、そのハイカラなセンスこそがサディスティック・ミカ・バンドへと繋がるわけで。解散後、ソロになってからはバハマやベルリンを遍歴しながらヨーロッパ的洗練を極め、『あの頃、マリー・ローランサン』など、成熟したシティー・ミュージックの名作を数多く発表。最近ではサントラ『パッチギ!』などを手掛けつつ、悠々自適の音楽生活を送っている模様。
(村尾)
高中正義
成毛滋、角田ヒロと結成したフライド・エッグでの活動を経て、ミカ・バンドの結成メンバーとして参加。バンド解散後は、加藤和彦、ミカ以外のメンバーでサディスティックスを結成するも、ほどなくしてソロ活動へと移行。フュージョン・シーンを代表するギタリストとして脚光を浴び、ヒット作を連発する。80年代当時、メロウで清涼感あるそのサウンドは山下達郎や角松敏生らと共に〈リゾート・ミュージック〉の代名詞としてもてはやされた。その後もコンスタントに作品を発表し続け、別掲の最新作『SADISTIC TAKANAKA』ではミカ・バンドの楽曲をラテン・アレンジで甦らせている。
(久保田)
小原 礼
正式メンバーとしては最初のベーシストとしてバンドに加入するも、74年の『HOT! MENU』発表後に脱退し、大村憲司らとバンブーやカミーノといったバンドで活動した後に渡米。イアン・マクレガンやボニー・レイットなどのバンドで活躍する。その後は作曲家/プロデューサーとしても活動し、近年は妻である尾崎亜美や奥田民生らのツアー・メンバーとしても活躍している。
(久保田)
後藤次利
ブレッド&バター、小坂忠、吉田拓郎、ティン・パン・アレーなどにおけるセッション/サポートを経て、小原脱退後のベーシストとしてミカ・バンドに加入。バンド解散後はアレンジャー/作曲家として一世を風靡し、沢田研二をはじめ、近藤真彦、吉川晃司、おニャン子クラブなどを手掛ける。
(久保田)
高橋幸宏
ミカ・バンドで本格的にデビューした彼の名をさらに世界中に知らしめたバンドといえば、サディスティックスを経て次に参加したYMOだろう。YMOでテクノ・ブームを巻き起こす一方、ソロ・アルバムも定期的にリリースし続けた高橋は、ピエール・バルーとの交流でも知られるようなヨーロッパ趣味を覗かせながら、ロマンティックなサウンドを紡ぎ上げていった。最新ソロ作『BLUE MOON BLUE』でも、そのナイーヴなタッチは健在。一方で、細野晴臣とのユニット=SKETCH SHOWではエレクトロニカにアプローチするなど、音の着こなしは、いまもってエレガントだ。
(村尾)