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第10回 ─ ヴァレンタイン・デーに聴きたいオルタナ盤×3

連載
向 井 秀 徳 の 妄 想 処 方 盤
公開
2006/02/09   16:00
更新
2006/03/02   19:19
テキスト
文/bounce.com編集部

向井秀徳(ZAZEN BOYS)の語り下ろし連載がコチラ。毎回編集部が設定したシチュエーションにもっとも適する(と思われる)ディスクを向井氏に勝手に処方いただく、実用性に溢れたコーナーです。アナタの生活の一場面を、向井秀徳のフェイヴァリット・アルバムとともに過ごしてみるのはいかがでしょう?  通算十一回目のシチュエーションは、ヴァレンタイン。今回は珍しく甘酸っぱい(?)感じでお送り致します……では向井秀徳、かく語りき。

ときは1997年。
珠子は服飾系の専門学校に通うハタチのオシャレな女の子。帽子が好きで、いっつもいろんな帽子を被っている彼女は、友達から〈空色帽子の珠子〉と呼ばれてる。

珠子には少し前までボーイフレンドがいた。そのボーイフレンドの影響で、珠子は英米のインディー系オルタナを聴くようになり、熱心にレコードを買うようになった。それも7インチのシングル盤ばかり。理由は〈ジャケが小さくてカワイイ〉から。珠子の部屋の壁にはシングル盤のカラフルなジャケが壁一面に貼ってある。そのなかでいちばん多く貼ってあるグループがモノクローム・セット。けっこう集めるのは大変なんだけど、頑張っていろんなレコード屋を巡ってかなりのタイトルを揃えた。珠子はマニアックな女の子なのだ。

珠子がよく洋服を買いに行く店に、神田林君という好青年が働いていた。神田林君は端整な顔だちでDJもやってる。珠子はちょこちょこ神田林君がやってるDJイヴェントに出かけていた。そうやって顔を覚えられ、自分のことを認識してくれてるだろう、友達って呼べるぐらいにはなってるだろうと思った珠子は、やがて神田林君に恋心を抱くようになった。

2月14日のヴァレンタインデーに神田林君が定期的にやっているDJイヴェントがある。珠子はそのイヴェントで神田林君にチョコレートを渡して告白しようと思った。そしてイヴェントの前夜、服飾学校でいちばん仲のいいKANIちゃんと〈チョコをどうやって渡すか〉とか〈なんて告白するか〉とかいろいろ作戦を練った。「絶対大丈夫! 神田林君も珠子のこと気にかけてるよ」と、アネゴ肌のKANIちゃんに元気づけられた珠子は、かなりその気になった。さらにKANIちゃんから「神田林君は黒縁のメガネをかけてる女の子が好きらしいよ」と聞くと、翌日さっそくメガネスーパーに行き、度の入ってない黒縁のメガネを購入。お気に入りの空色帽子を被って、神田林君のイヴェントに出かけた。

イヴェントが開かれているクラブ〈Labo Tribe〉に入ると、まさに神田林君がDJをしていて、ペイヴメントの“Stereo”(『Brighten The Corner』収録。右リンク先にて試聴可能!)をかけていた。イヴェントの常連客にはおなじみの曲で、サビのところになると〈フーッ! フーッ! フーッ!〉と連呼してみんなが一斉にジャンプする(笑)。珠子は店に入るなり、以前神田林君から勧められたことのあるペイヴメントの曲が耳に飛び込んできたので、パーッと顔が明るくなった。もちろん珠子も〈フー!〉て言いながらジャンプする……と、そのはずみで空色帽子(ベレー帽)が脱げて、床に落ちた。珠子が慌てて拾おうとすると隣でジャンプしてた男の子がそれを拾ってくれた。「ありがとう」と珠子。でも大音量で曲がかかってるから、その男の子は「えっ? 何? 何?」と聞き返す。珠子は男の子の耳もとに近付いて大きい声で「ありがとう!」ともう一回言う。するとその男の子は珠子の耳に近付いて「よく来てるよね?」と訊く。珠子は「いや、そんなに来てないけど」と答える。でも、うるさくてまた聞こえない。まともに会話ができないと踏んだ男の子は〈あっちあっち〉と奥のバー・カウンターを指差した。そして二人はちょっとフロアから外れたバー・カウンターに行く。背が高く、ジーンズにボーダーのシャツというすごくシンプルな出で立ちの男の子は「オレ、ジュン。よく来てるよね?」と話し始める。「そんなによくは来てないと思うけど」「いや、よく見かけるよ」。会話はジュンのペースで続く。ジュンは「オレ、ノド乾いたなあ」と言いながらジントニックをオーダーすると、珠子に「なんか飲む? 名前教えてよ」と立て続けに訊く。「えっ? 私、珠子。じゃあ……カシスオレンジ」。珠子は〈なんかこの人、押しが強いなぁ〉とちょっと思いながらも、すごく自然で、話が上手いジュンのペースに乗ってしまっている。ジュンはデザイン系の専門学校に通っているので、珠子と共有できる話題も多い。

フロアからヨ・ラ・テンゴ“Sugarcube”(『I Can Hear The Heart Beating As One』収録。左リンク先で試聴可能)やサーストン・ムーアの“Patti Smith Mass Scrach”(ソロ作『Phychic Hearts』収録)などが流れている。ジュンとなんとなく意気投合している珠子だったが、でもやっぱり神田林君のことが気になっていた。そうこうしていると神田林君のDJが終わり、神田林君は控え室に向かった。それを見た珠子はジュンに「私、お手洗い行ってくる」と言ってその場を離れた。その言葉は、ジュンともうちょっと話したいという珠子の気持ちの表れであった。珠子はポケットの中でチョコレートを握りしめ、テレヴィジョン“Shane , She Wrote This”(92年のアルバム『Television』収録)が流れるフロアを横切って控え室の前に立った。そして入り口のカーテンをそっと開くと、そこに神田林君がいた。珠子はちょっと緊張して「あの……」と言う。

神田林君は「あっ……ええと……?」と、珠子の名前を思い出そうとするが出てこない。「珠子です」「あぁ! あの帽子の! 何?」。珠子は名前を覚えてくれてなかったことに少なからずショックを受けて次の言葉が出てこない。「どうしたの? 何?」と神田林君。珠子は「唐突ですけど……彼女……いるんですか?」と訊く。「えっ? どうしたの? ええと……?」と、神田林君はまた名前が出てこない。「あっ、珠子です」。神田林君は「彼女? ん~……まあまあ、いる」と答える。「あっ、あぁ、そうなんですか……」。けっこう仲良くなった、もっと言えば神田林君は自分のことを気にかけてくれてるんじゃないかと思い込んでた珠子はショックを受ける。神田林君は、何も言えずに立ちすくむ珠子を気にかけることなく「じゃあオレ、友達と話あるから」と言って立ち去っていった。そして珠子は、賑わいをみせるフロアを横目に、またカウンターのほうに戻っていく。待っていたジュンは「長かったね! オレもう3杯も飲んじゃったよ! 何か飲む?」と訊く。その瞬間、珠子は〈あ、この人って優しいんだ〉と自分勝手に思う。「ジュン君は何飲んでんの?」「ジントニック」「じゃ、私も」。カウンターの上のブラックライトに照らされた二つのジントニックがブルーに光ってる。フロアからリプレイスメンツの“Valentine”(87年のアルバム『Pleased To Me』収録)が聞こえてくる。珠子は「この曲いいね。これ誰?」とジュンに訊く。「これはポール・ウェスターバーグのバンドだよ。オレん家にいっぱいあるから聴かせてあげるよ」とジュン。珠子は「モノクローム・セットもある?」と訊く。「多分、珠子ちゃんが聴きたいのは全部あると思うよ」。
 まもなく、二人は〈Labo Tribe〉を後にしてジュンの家に向かった。(完)*インタビュー/久保田泰平

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