
おそらくこれを読む多くの人がロックンロールを聴き始めた頃には、すでに〈セックス・ドラッグ&ロックンロール〉という価値観はほぼ死滅していたはずだ。ロックンロールを危険なものだという人は、もはやいないに等しい。とはいえ10年ほど前まで、英国のワーキング・クラスには〈成功するにはロック・スターかサッカー選手になるしかない〉という夢のある言い回しがまだ残っていた。しかし、その言葉もオアシスが有言実行で体現して見せたのを最後に、誰も言わなくなった。
そんな時代だからこそピート・ドハーティの存在は人々を混乱させている。彼は最低最悪のジャンキーなのか、それともロックンロールがかつて確かに棘と牙を持っていたことを思い出させてくれる救世主なのか。なにしろこの男、ロックに興味のない人にもいまや〈ケイト・モスのドラッグ中毒の恋人〉として知られているほど。ライヴの中止やリリースの延期だけでなく、警察にガサ入れされたり訴訟されたりすることも日常茶飯事だ。英国の高級新聞にまで彼の話題が掲載される〈時の人〉なのである。
ピートがそういう話題性だけで食っているタイプのミュージシャンならば、むしろ話が早い。軽蔑すればいいだけだ。しかし厄介なことに、この男の場合はそんなゴシップ・ネタがただ邪魔なだけ。なにしろ、全身音楽家としてのロックンロールな生き様とそれを音に映す才能がズバ抜けているのだから。
そもそも現在活動休止中のリバティーンズの中心人物のひとりとしてこの男がシーンに登場した時、何が衝撃だったか。それは一撃で誰もを打ち抜くほどの、ロックンロールな〈気迫〉だった。だからこそリバティーンズはブリット・ポップ以降の活気のなかったUKロック界に風穴を開け、結果的にシーンを変え、人々は希望をかけるかのように支持をした。しかしピートは輝かしい道の途中で、ドラッグ中毒のためにバンドから離れざるを得なくなる。その頃から彼の個人プロジェクトとして囁かれていたのがベイビー・シャンブルズの存在だった。
ピートをして全身音楽家だとする理由には、リバティーンズ時代から彼は音楽の〈表現方法〉にそれほどこだわりを持っていなかったことが挙げられる。ゲリラ的なライヴや自宅ライヴを自在に行ったり、ウルフマンをはじめさまざまなミュージシャンとのコラボレーションに自由に参加したり……。彼の中にある音楽への欲求は、契約問題や音楽ビジネスの狭い枷を常に軽々と超えていた。しかも彼の歌は、その人生を、価値観を、オブラートに包むことなくそのまま伝える。優れた表現の多くが〈リアル〉を〈リアリティー〉へと転換する術に長けているとするならば、リアルをまっすぐに伝えることしか知らないピートの曲は想像を超えている。だから釘付けになるのだ。
現在4人組のベイビー・シャンブルズのファースト・アルバム『Down In Albion』。このアルバムは数々の伝説を早くも残してきたピート・ドハーティが、やはり希代のトリック・スターなどではないことを饒舌に伝える一枚となった。気分の趣くままにレゲエやスカを採り込むかと思えば、お得意のフォーキーな美メロにはさらに鬼気迫るソウルが宿り、ほぼ一発録りと思しき音はスタジオのダルい空気を伝えている。しかも〈もし時を逆戻りできるなら〉などと自虐的に開き直る一方で、第三者からの声に託して〈クラックなんかやめろ〉という冷静な呟きまで、歌詞には現在の彼のすべてが詰まっているかのよう。身を削って生まれた彼にしか歌えない音楽が、確かにここにある。この方法論を古臭いと言うならば、ロックンロールとはなんなのだ?
PROFILE
ベイビー・シャンブルズ
ピート・ドハーティ(ヴォーカル)、パトリック・ウォルデン(ギター)、ドリュー・マッコーネル(ベース)、アダム・フィセック(ドラムス)から成る4人組。『The Libertines』リリース直後にあたる2004年初頭、ドラッグ癖を理由にリバティーンズを脱退させられたピートが、以前から幼馴染みといっしょに不定期で活動していたプロジェクトを本格的に始動。同年5月にシングル“Baby Shambles”でデビュー。メンバーの交代を経て、今年8月にリリースされたサード・シングル“Fuck Forever”がUKチャート4位を記録する。至るところで解散説が囁かれるなか、このたびファースト・アルバム『Down In Albion』(Rough Trade/東芝EMI)をリリースしたばかり。