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第57回 ─ 銀杏BOYZ〈不登校生徒集会イン渋谷公会堂〉@渋谷公会堂 2004年1月23日(日)

連載
ライヴ&イベントレポ 
公開
2005/02/03   12:00
更新
2006/01/19   18:37
テキスト
文/内田 暁男

「10のうち9がユーモアで、素敵なものが1あればいいと思ってるんで」「ドリフみたいなテンション」。TOWER誌にて峯田和伸が語った銀杏BOYZについての言葉が、そのまま具現化されている場所。それが渋谷公会堂で行われた銀杏BOYZの初ワンマンライブだった。抱腹絶倒のパンク・ロック絵巻。その一部始終!!!


〈大地讃頌が流れるグラウンドに初戦で負けた野球部の涙が詰まっている〉という“青春時代”の歌詞をなぞるように、開演前に大地讃頌が流れるなか、銀杏BOYZの4人はステージにひとりずつ登場。最後に登場した峯田和伸が「みんなイイ顔してるよ」と一言漏らし、渋公のステージに立つ感慨をメンバー(一名すでに上半身裸)とわかちあったあと、やはりその“青春時代”で初のワンマン・ライブはキックオフ。徐々にヒートアップしていく曲調に合わせて峯田のアクションが大きくなり、客席にもそのテンションがジワジワと伝播していくのをハッキリと感じて序盤からちょっと震える。このへんは渋公という場所ならではかも。チン中村のギターが無茶苦茶な転調をかますピクシーズ調ショート・パンク“十七歳(…cutie girls don't love me and punk)”から、アルバムでは田口トモロヲの絶叫をフィーチャーしてばちかぶりへの愛を捧げた(?)“犬人間”に流れる構成は『DOOR』の冒頭を具現化。まさしく〈初戦で負けた野球部員〉が逆ギレしてるかのような佇まいが狂気とお笑いと感動を体現していく。ジョニー・ロットンやヒロトみたいにツバを天井に向けてペッペッと吐き、イギー・ポップみたいに上半身裸でステージを駆け回り、スピーカーによじ登り、客席に飛び込む峯田の姿。体ごと痙攣するチン中村のギター。かっこ悪いことはなんてかっこいいんだろう。


その後はいつもに増してさだまさしばりに長いMCが、会場の一体感をグングン演出していく。ブサイクを連発する愛に溢れた(?)客イジリ、22歳のときの初体験の話(しかも女子が引くぐらいディテールまで卑猥)、友人の山本君のちょっと書けない話、享楽主義的なダンス・ミュージックへの唾棄、放送禁止扱いする電波媒体への違和、故郷の山形に降る静かな豪雪の風景など、地元訛りで語られる濃すぎる話の数々は、銀杏BOYZの音楽を構成する重要な要素だ。

“夢で逢えたら”から本編ラスト“人間”に至る後半の、銀杏のリリカル・サイドとでもいうべきパートは、ホール公演というシチュエーションにとくにハマっていたように思う。ウィーザーやグリーン・デイのようにサビで力強く合唱できるメロディーの素晴らしさを再認識できたし、なにより峯田和伸のロマンティストとしての側面とダーク極まりない側面がそんなメロディーのなかになんの違和感もなく溶け合っている様が感動的だ。イイ曲を書くには、その当人が魅力的でなければならない。そしてその当人が魅力的であれば、極端な話、歌われている内容が嘘でも本当でもどうでもよくなる。そういった意味では、銀杏BOYZが表現しようとしているのは巨大なファンタジーなのかもしれない。そう考えれば銀杏BOYZが歌詞やサウンドやヴィジュアルに忍ばせるサブカルチャー的固有名詞の情報量の凄さが理解できる。なにせ『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』のジャケにタイプされた〈…young alive in love〉の文字に爆笑してしまった世代ですから。

峯田の弾き語りによるアンコール一曲目“なんとなく僕たちは大人になるんだ”から“BABY BABY”に至るリリカルな連なりを断ち切るように、スターリン譲りのアナーキック・パンク・チューン“日本人”が暴力的に鳴らされたあと、ライブは終了。銀杏BOYZというファンタジーから現実に帰還したとき、長編映画を観終わったような気分だった。もしくは昨年のフジテレビの25時間テレビを観終わった気分。

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