変幻自在で掴みどころのない電子音楽家、アトム・ハートの華麗なる活動(の一部)に迫る!
ヒストリー・オブ・スペシャル・ストレンジャー!!

アトム・ハート=ウーア・シュミットほど、変幻自在、まったくもって雑多で、掴みどころのない電子音楽家はほかにいないでしょう。ミル・マスカラスが試合ごとに違ったマスクを被っていたように、松本人志がコントごとに別の人格を演じてみせるかのように、彼も時代/作品ごとに自身の音楽スタイル、体内のハードディスクを、ジャンルを問わずつぎつぎと新しいものにカット&ペーストしてきました。ある意味やり逃げ! しかも用意周到に、ほとんどの作品が匿名/変名として世に送り出されていくのです。CDショップで彼の作品を前にしながら〈これってアトム・ハート?〉と、誰しも一度は煙にまかれた経験があると思います。クォリティーの高さとともにリリース間のタームもズバ抜けて短く、ここ数年でベスト盤が何枚出せることか……。とにかく、その作品量は呆気にとられるほどの多さなのです。
きっと彼のスタジオは24時間フル稼動、電気代もかさんでかさんで仕方がないはず。そんなやっかい者のアトム・ハートですが、活動経歴は意外に長いもので、最初期はフランクフルトを拠点にアンビエントやトランス(ファックスのピート・ナムルックとの静かなる共演盤やライジング・ハイのコンピではハードフロアと並んでビヨビヨやってました)をせっせとこしらえつつも、92年、コスタリカのリサ・カーボンとの出会いをきっかけに、次第に現在の作風に近いラテンやジャズ色を強めていきます。94年には自身のレーベル、ラザー・インタレスティングを設立。その後、細野晴臣やNY在住のテツ・イノウエとのプロジェクトであるHAT(エレガント!)などを経て、97年にはチリのサンティアゴに移住。現地のネイティヴな音楽をふんだんに吸収した、第二期アトム・ハートとも呼べるような目覚ましい活躍が始まるのです。