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インタビュー

lynch. 『I BELIEVE IN ME』

 

lynch._特集カバー

 

[ interview ]

デス声の荒々しいシャウトと妖艶なファルセットを使いこなすヴォーカリスト=葉月を中心に、非常に刺激的なサウンドを繰り出してくる5人組だ。名古屋を拠点に活動し、アルバム『I BELIEVE IN ME』でメジャー・デビューを果たすlynch.。ひたすらヘヴィーに疾走するそのサウンドは、海外のラウド・ロック勢にも通じる強烈なインパクトを持っている一方で、日本の歌謡曲にも通じるキャッチーさも息づいている。英語と日本語とで鮮やかなコントラストを描く歌詞も独特だ。

インディー時代の集大成でもあり、新たな出発点にもなったアルバム『I BELIEVE IN ME』のリリースを機に、lynch.特有の音楽性がどう花開いていったのかを、メンバー全員のインタヴューから紐解く。

 

1曲のなかに振り幅を混在させる

 

――アルバムは、すごくいろんな面を持った一枚だと思うんです。ヘヴィーな面もあり、情緒的でメロディアスな面もある。それが1曲のなかで融合している曲もあれば、振り切っている曲もある。

玲央(ギター)「うん、確かにそうですね」

――そういういまのlynch.の個性って、バンドを結成した頃からめざしていたものだったんでしょうか?

玲央「最初は僕と葉月(ヴォーカル)と晁直(ドラムス)の3人でバンドがスタートしたんですが、結成当初は葉月のソングライティングに惹かれて声をかけたんです。これはいまも変わらないんですけど、もともと〈こういう音楽をやろう〉と思ってメンバーを集めたわけじゃなくて。この人間とやったらおもしろいことができる、すごいことになりそうだという〈人〉の部分でメンバーが集まってるんです。だから、最初は3人だったのもあって、〈3人で作ったらこうなりました〉というアルバムになっていたし。メンバーが加入したことによって、音楽の振り幅やテイストは当然のように変わってきましたね。曲を作っている葉月の意志もあるとは思いますけど」

――lynch.というバンドを始めたときには、葉月さんはどういうイメージを持っていたんでしょう?

葉月「そのときは、正直僕のなかではイメージがなくて。自分の好きな音楽をやっていきたい、というくらいでしたね。セカンド・アルバム『THE AVOIDED SUN』(2007年)くらいからようやくlynch.というバンドがわかってきて、いろんなことが見えてきた。そのへんからやっと色が出てきたんだと思います。最初はそういうことは何も意識してなかったんで、いま聴くと、まとまりのないものになってるかもしれないです」

――〈見えてきた〉というのは、どういうものだったんでしょう?

葉月「やっぱりメンバーの個性ですね。それから、1曲のなかに振り幅を混在させようというテーマが見つかったんです。ファースト・アルバム『greedy dead souls』(2005年)の頃は激しいものは激しい、メロディアスなものはメロディアスというのが分かれていたんですけど、セカンドではそれを1曲のなかで実現させた。そこでlynch.の個性のひとつが出来上がったように思います」

――曲のなかに激しい部分とメロディアスな部分を同居させるというのは、海外でも同時代的な流れはありましたよね。たとえば2000年代のスクリーモやポスト・ハードコアだったり。そういう海外の動きも意識しましたか?

葉月「そこがヒントになったというのはあります。幅のある音楽性を混ぜると言っても、〈ヒップホップとメタルでミクスチャー〉というわけでもなくて。やっぱりスクリーモのほうが近いかな。ただ別にエモじゃないし、僕のメロディーラインは完全に〈ジャパン〉なので。メロディーのルーツに、海外のアーティストはないんです。そこから受けた影響は、どちらかと言えば全体のサウンド面であり、シャウトであって」

――メロディーで言うと、葉月さんのルーツはどういうところにあるんでしょう?

葉月「ロックにハマったきっかけというのは、LUNA SEAを小学校のときに聴いて好きになったことで。歌謡曲も聴くんですけど、B’zとかWANDSとか、大黒摩季さんもすごく好きだった。そのあたりになるのかな。キャッチーだって言われるのも、そこからきてるんでしょうね。キャッチーじゃないものを自然に避けてるというか。格好良いものをやろうとすると、勝手にそうなってしまうというのがあります」

――そういう葉月さんのセンスは、玲央さんや晁直さんも共有していた?

玲央「そうですね。自分も好きなんです。日本人としてこの国に生まれて育って、TVやいろんなところで聴いてきた音楽が、幼い頃から染み込んでいるので。嫌いじゃないんですよね。洋楽だけをめざしてしまうと、それは演じてることになってしまう。各々が自分の好きなことをやってるということなんです。バックボーンにないものは反映していないですし。意識していなくても、最大公約数は見つかってくるんです。だから無理がないし、共感できる。〈もっとこうしたら?〉っていう意見も出せる」

 

カテゴリ : .com FLASH!

掲載: 2011年05月25日 18:01

更新: 2011年05月26日 14:03

インタヴュー・文/柴 那典

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