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インタビュー

MSC


「(クルーのメンバーは)だらしなかったり性格悪かったりするとこも含めて〈お前だからな〉って言えるメンバーですね。誰かと言い合いになっても〈わかってるよ。ここ以外に居場所ねえの知ってんだよ〉って逆ギレするぐらいだから(笑)、ごまかさずに付き合える」(KAN)。

 コンピ『Homebrewers Vol.1』への参加。マキシ“帝都崩壊”のリリース。そして、KICK THE CAN CREWのKREVA以外では初の栄冠となった、〈BBOY PARK〉のMCバトルにおけるメンバーKANの優勝。2002年におけるMS CRUのいくつかのちょっとしたアクションは、ジャパニーズ・ヒップホップの新たな息吹きを探すリスナーたちに、一種の驚きを持って迎えられた。黙々と拍子を打つビートに、それぞれスキルも確かなラップ……MIC SPACE(KAN、TABOO)とSIDE RIDE(PRIMAL、O2、GO)の2グループ・5MCを中心に、トラックメイカーやDJを加えた総勢10数人のクルーが新宿という地から発する音楽に、誰もが夢に見るような気持ちのいい物語はない。そこにあるのは大きな街の片隅で人知れず日々起こっていてもおかしくない、殺伐とした風景のスケッチだ。

「ムダに作ってる曲も、ひねってる曲もない。そのままなんですよね」(KAN)。

 その言葉通り、彼らがクルー名をMSCと改めいよいよリリースしたフル・アルバム『MATADOR』では、荒涼とした風景がペンで生々しく切り取られている。

「俺らはドキュメンタリーとかリアルなものが好きなんですけど、ヒップホップにもそういうイメージを持ってる。口で言うのは難しいと思うんですけど、ラッパーたちに訊きたいんですよね、〈お前らのリアルってなんなんだよ?〉って。今度のアルバムは、自分ら(のリアル)はこうだよっていう作品」(KAN)。

「私生活じみてるというか、生活臭が漂ってるのがMSC」(TABOO)。

「まだまだ発展途上だけど、いまの感情を映したアルバムだと思う」(PRIMAL)。

 彼らは彼らなりの視点で自分たちの周りにあるさまざまなものを見聞きしている。そこには当然、彼らなりの倫理観もあるだろう。しかし、彼らがリリックとして口にするとき、それがメッセージという形を取ることはない(結果としてそれをメッセージと受け取るか否かはリスナーの問題だ)。彼らは排他的になるより、むしろ他者の価値観との軋轢を当然のものとして認めている。とりわけヒップホップに関して言うと、アルバムにおける“FREAKY 風紀委員”での某アーティストへの言及もまた然り。

「他にもいろんなスタイルがあったほうがおもしろいんじゃないかと思うんですけど、俺らは純粋に、どういう言葉とか曲だったら後々まで耳に残るかってことを考えてラップしてる。俺のなかでは、曲を聴いてなにかを考えさせるものが音楽だと思うし、日本語なのか日本語じゃないのかわからないような日本語ラップは音楽のなかから外れてるけど、もし他のアーティストにそれができなくても、俺たちにはできるよってだけ」(KAN)。

「ごまかし効かなくしたいし、日本語ラップに限界がないところを見せたい」(KAN)という言葉も出たが、大きな意味で彼らは世界を変えようとは思っていない。ただ、ヒップホップ・シーンをまったく違うものに変えたいと思っているのだ。

「(シーンを)自分たちの色にしたいんじゃなくて、ひとりひとりが〈リアル〉とか〈ヒップホップ〉ってものを考えることで音楽がかっこよくなっていくのが理想。で、俺たちはかっこいいとしか言えねえっていうものを完成したい」(KAN)。

PROFILE

MS CRUとして2000年に結成される。メンバーは、MIC SPACE(KAN、TA-BOO)とSIDE RIDE(PRIMAL、O2、GO)という2つのグループの5MCを中心に、トラックメイカーやDJなど10数人。新宿を中心に活動し、2000年夏の〈BBOY PARK〉におけるMCバトルでKANが脚光を浴びる。2001年には自主制作でCD作品をリリースする。2002年5月のコンピ『Homebrewers Vol.1』に3曲を提供し、7月にはファースト・マキシ“帝都崩壊”をリリース。同年夏の〈BBOY PARK〉では、KANがMCバトルを制覇。その後、MSCに改名。DJ BAKUや志人、Red Rice、若旦那ら次代を担うアーティストたちも参加したアルバム『MATADOR』(Pヴァイン)がリリースされたばかり。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2003年03月06日 13:00

更新: 2003年03月06日 16:24

ソース: 『bounce』 240号(2003/2/25)

文/一ノ木 裕之