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ルーマニアの巨匠ペルレアの1969年ステレオ・ライヴ!“運命”、“ブラ1”、“展覧会の絵”、他

カテゴリ : ニューリリース

掲載: 2018年06月29日 18:00


鋭い眼光と片手だけで指揮するペルレアの雄姿(1969年の公演より)
British Pathe公式YouTubeページより

エレクトレコード・東武ランドシステム共同制作(7月末頃発売予定)
やっぱり昔の人は凄かった!
巨匠イオネル・ペルレア最後の里帰り公演
ステレオ・ライヴ!!

驚愕のライヴが登場です!1900年にルーマニア人の父とドイツ人の母の間にルーマニアのオグラダで生まれたイオネル・ペルレア(1900~1970)。イオネルが10歳の時に父は亡くなったために母の故郷ドイツ・ミュンヘンで育ちました。ペルレアは作曲をドイツで学びましたから、巨匠の音楽背景はドイツということになります。後に祖国に戻りますが、ナチ支配下のルーマニアで指揮活動を続けたせいで協力者と見做され(ジョルジュ・ジョルジェスクも同様)、大戦後は活動の場をイタリアに移しました。聖チェチリア管との共演を聴いたトスカニーニはペルレアの才能を認め、スカラ座への頻繁な客演へと繋がります。更に1950年にはNBC交響楽団とメトロポリタン歌劇場にも客演。終焉の地となるニューヨークとの縁が始まります。以後アメリカでの活躍が主となります。米ドルの強かった時代、アメリカのVOXレーベルはヨーロッパのオーケストラを用いて膨大な録音を遺しましたがペルレアもVOXの主力アーティストでした。さらにRCAにも多くのイタリア・オペラの録音を遺しております。1957年には心臓発作と脳卒中で倒れて、半身不随となりましたが、意欲は衰えず、着座して左手だけで指揮。マンハッタン音楽院でも教鞭をとり、その時の愛弟子が飯守泰次郎氏です。今回のリリースにあたり貴重なコメントを頂戴しました。複雑な心境を持っていた祖国ルーマニアには長らく帰国しませんでしたが1969年に里帰り公演を行い、最後の帰国。その際のライヴが今回登場の名演です。ドイツ音楽の王道ベートーヴェン、ブラームスは、気宇壮大で恰幅豊かな演奏で堂々たる演奏。どこまでもシリアス。響きが筋肉質で緊張感が絶え間なく続く所も満点です。エネスコの交響曲第1番は、この曲最高の演奏とも言えるエネルギッシュで前へ前へと進む推進力に富んだ熱演。テオドール・グリゴリウ(1926~2014)はルーマニアの作曲家、音楽評論家でペルレアの伝記も著しております。エキゾチシズムに富んだ佳品。「展覧会」もドラマティックで物語に富んだ音楽作りが如何にもオペラの巨匠らしいペルレア畢生の名演です。この翌年にニューヨークで没しましたが晩年とは思えない超名演ばかり、全曲ステレオ録音ということにも感謝です。前述しましたVOX録音は残念ながら特に強い印象を与えるものではありませんでしたから、ペルレアの真価を知るならコレ!という決定盤の登場です。
(東武ランドシステム)

忘れ得ぬ瞬間~イオネル・ペルレア先生のレッスン
飯守泰次郎

 私は学生の頃、桐朋学園の齋藤秀雄門下で指揮を学んでいたが、藤原歌劇団でピアニストを務めていたときに藤原義江さんに認められ、プッチーニの「修道女アンジェリカ」で指揮者デビューすることになった。そして、当時盛んだった労音の「椿姫」公演を私ひとりで約1年間に51回も指揮したことが決定的な体験となって、「指揮者として大事なのはオペラだ」と確信し、オペラ発祥の地であるヨーロッパのオペラハウスで仕事をしよう、と心に決めた。
 とはいえ、すぐにはヨーロッパに渡らなかった。いきなりロンドン、パリ、ローマ、ウィーン…といった大都市に行くと、その国の圧倒的なアイデンティティーに呑み込まれてしまう。若いうちは、一国の文化に偏らず、できるだけいろいろな価値観に触れて全体的な視野をもちたい、と考えて、まずは人種のるつぼであるニューヨークに留学した。ジュリアード音楽院ではなく、オペラに力を入れているマンハッタン音楽院を選んだところ、幸運にもイオネル・ペルレア先生が教えていらっしゃる時期で、師事することとなった。1965年のことである。
 ペルレア先生は、晩年のトスカニーニを支えた方で、ミラノ・スカラ座を始め世界的な歌劇場やオーケストラで活躍し、数多くの録音を残した巨匠として知られていた。メトロポリタン・オペラでも 『トリスタンとイゾルデ』『リゴレット』『椿姫』『カルメン』等を指揮されたようだが、私が留学当時はすでにご高齢だったうえに半身不随で、椅子に座ったまま左手で指揮をされていた。顔半分は表情も動かず、目元もドラキュラのようで怖いくらいの容貌だが、その動くほうの顔半分でニタッと笑って、棒も持っていない左手をちょっと動かすだけで、オーケストラの音が途端に素晴らしい響きになるのだった。
 ペルレア先生の授業はすべて出席し、それ以外の授業は全部さぼって、メトロポリタン・オペラ、ミュンシュ指揮のニューヨーク・フィルハーモニック、ラインスドルフ指揮のボストン交響楽団、オーマンディー指揮のフィラデルフィア管弦楽団などを聴きまくった。ペルレア先生が、マンハッタン音楽院のオーケストラでマーラーの交響曲第5番を指揮された際は、私もアシスタントを務めた。その時のスコアは、まだ大切に持っている。
 『トリスタンとイゾルデ』“前奏曲と愛の死"のレッスンは、今も忘れることができない。前奏曲がほぼ終わって、チェロとコントラバスの響きだけがppで残り、もはや死に絶えるような、音楽も時間もすべてが止まるかのような瞬間、“愛の死"のバス・クラリネットが静かに入ってくる場面。その時、ペルレア先生は、ごくわずかな身振りのみで私に、「動くな。何もするな」ということを伝えたのだ。その頃、先生はすでに言葉も明確ではないような状態だったが、「動くな」という彼の指示は、言葉を超えた音楽的な表情として、電撃的に私を圧倒した。それは極言するなら「指揮するな」という“命令"だった。そのペルレア先生の表情、左手がほんのわずか、私を牽制するような動き……それだけで私は彼の言いたいことをはっきりと理解した。両手をちゃんばらのように振り回している自分が、あれほど恥ずかしく感じられたことはない。
 翌1966年、私はミトロプーロス国際指揮者コンクールに入賞し、その場に偶然来ていたリヒャルト・ワーグナーの孫のフリーデリンド・ワーグナーに誘われて、彼女の主宰するバイロイト音楽祭のマスタークラスに参加するためにドイツに行くことになった。以来50年、ワーグナーの作品は私の指揮者としての仕事の最大の柱のひとつである。そして今も、ペルレア先生の『トリスタンとイゾルデ』のレッスンのあの瞬間は、ありありと私の中に残っている。

【収録曲目】
「ブカレスト・ステレオ・ライヴ録音集/イオネル・ペルレア」
(1)ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」
(2)ブラームス:交響曲第1番
(3)エネスコ:交響曲第1番
(4)テオドール・グリゴリウ:エネスコ賛
(5)ムソルグスキー=ラヴェル:組曲「展覧会の絵」

イオネル・ペルレア(指揮)
(1)(2)(5)ジョルジュ・エネスコ・フィル
(3)(4)ルーマニア放送交響楽団
録音:
(1)1969年5月23日、(2)1969年5月10日、(3)(4)1969年5月4日、
(5)1969年5月23日、(全てライヴ録音、ステレオ)