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未発表放送用スタジオ録音を一気にリリース『エディト・パイネマンWDRリサイタル録音集』

カテゴリ : ニューリリース

掲載: 2018年05月23日 18:30

パイネマンWDR録音集

空前のヒットとなった協奏曲ライヴ(SSS0204/05)に続いて、
美貌の天才ヴァイオリニストとして高名なパイネマンの未発表放送用スタジオ録音が一気にリリース!

その高名に比して録音は極めて少なく、ここに登場するレパートリーはシューベルトとブラームスを除いて初出レパートリーです。1937年にドイツ・マインツに生れたパイネマンは、4歳で同地のオケのコンサートマスターであった父からヴァイオリンを学びます。さらにハインツ・スタンシュケ、マックス・ロスタルに師事。19歳でドイツ放送局(ARD)主催のコンクールで第1位となり,国際的な活動を開始します。アメリカでは、特に大指揮者ジョージ・セルがパイネマンを高く評価したために、1965年のクリーヴランド管のニューヨーク・カーネギーホール公演にもソリストとして起用されます。以降、共演した指揮者にはミュンシュ、ショルティ、カラヤン、カイルベルト、クリップス、バルビローリ、クーベリック、テンシュテット、マルティノン等が挙げられます。1972年にはミュンヘンフィル初来日公演にソリストとして参加しています。
芸風は典雅にして高潔。無駄な効果を狙った演奏とは無縁です。ベートーヴェンの高貴さには頭が下がるばかり。モーツァルトは深遠な思索に富んだ名演。ブラームスのFAEソナタの感受性の強さ。そしてシューベルトの「幻想曲」、この自由度の高い飛翔に心洗われる思いであります。伴奏ピアノの神様ともいえるデムスのバッキングが多いことも朗報。全てモノラルですが、ケルン放送の技術の高さは多くの見識あるファンが知るところ。期待を裏切りません。
(メーカーインフォより抜粋、一部訂正して掲載)

【収録曲目】
(1)ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調op.30-2
(2)モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第27番ト長調K.379
(3)シューベルト:ヴァイオリン・ソナタ第3番ト短調D..408
(4)ブラームス:FAEソナタよりスケルツォ ハ短調
(5)ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調Op12-2
(6)シューベルト:幻想曲ハ長調D.934

【演奏】
エディト・パイネマン(ヴァイオリン)
(1)(2)ヘルムート・バース(ピアノ) 録音:1967年10月4日
(3)-(5)イェルク・デムス(ピアノ) 録音: 1966年(3)6月24日、(4)(5)4月26日
(6)ロバート・アレクサンダー・ボーンク(ピアノ) 録音:1957年6月23日
※日本語オビ・解説付/音源提供:WDRケルン放送(モノラル)

エディト・パイネマン 人と芸術

流麗なテクニックと繊細な音色を駆使して旋律を陰影深く描き出す名手にして、類稀な美貌の持ち主。1960年代から70年代にヨーロッパやアメリカ、そして南アフリカで華やかに活躍し、高い評価を獲得しながら、録音が極めて少ないことで知る人ぞ知る存在となっていたドイツの女性ヴァイオリニスト、エディト・パイネマン。これはその空白を埋める極めて貴重な録音集です。

1937年3月3日、彼女はマインツで同市のオーケストラのコンサートマスター、ロベルト・パイネマンの娘として生まれました。4歳より父にヴァイオリンを学び、14歳よりハインツ・シュタンスケ(1909~96)に師事。1954年に実業家、政治家で楽譜出版社のヘンレ社の創業者でもあるギュンター・ヘンレ(1899~1979)が後援者となり、彼の支援によりロンドンに留学し、ギルドホール音楽院のマックス・ロスタル(1905~91)に師事しました。

1956年、19歳で難関として知られるミュンヘン国際音楽コンクールで優勝。審査員の一人だった指揮者のウィリアム・スタインバーグ(1899~1978)の招きで1962年にピッツバーグ交響楽団のソリストに立ち、これが彼女のアメリカ・デビューとなりました。同年、ジョージ・セル(1897~1970)が代役のソリストを探していたところ、マックス・ルドルフ(1902~95)の推薦により彼女を招きました。クリーヴランド・デビューとなったドヴォルザークの協奏曲は大成功を収め、以来、巨匠セルと彼女は深い友情で結ばれることとなります。

1964年、ケルンでベートーヴェンの協奏曲を共演したセルは、コンサート後のパーティでヘンレに、彼女により良い楽器を貸与するように勧めました。同年クリスマスの直前、セルはヴァイオリン・ディーラーに5本の名器(2本のグァルネリと3本のストラディヴァリ)をチューリヒまで持ってこさせ、ホールを借りて彼女に試奏させました。そして、セルが5本の中から選んだ1732年製のグァルネリが彼女の楽器となりました。1965年にはカーネギーホールでセル指揮クリーヴランド管弦楽団をバックにベートーヴェンの協奏曲を演奏。その後、セルが1970年に亡くなるまで、1966-67シーズンにはバルトークの第2番を、1969-70シーズンにはモーツァルトの第3番を共演しました。

1970年代に入ると演奏活動と並行して教育活動にも熱心に取り組むようになり、1976年にフランクフルト音楽・舞台芸術大学のヴァイオリン科の教授となり、クリーヴランド音楽院、インディアナ大学、ルツェルン音楽院、草津国際アカデミーなどでも教鞭をとりました。2005年にはESTA(European String Teachers Association)の最高責任者となり、2011年まで務めました。

彼女の商業録音は1965年のドヴォルザークの協奏曲とラヴェルのツィガーヌ(マーク指揮チェコ・フィル共演、DG)、1970年代録音と思われるブラームスのヴァイオリン・ソナタ全集(デムス共演、Darnok)、ヴァイオリン小品集(H.バルト共演、Classic Pick)、1988~89年のシューベルトのヴァイオリンとピアノのための作品全集(ホカンソン共演、Bayer)、1990年のレーガーの協奏曲(ハウシルト指揮シュトゥットガルト・フィル共演、Amati)、1991年のクラウスの協奏曲(ジークハルト指揮シュトゥットガルト室内管共演、Orfeo)くらいしかありません。今後も世界各地に残された彼女の放送録音の発掘、商品化を期待したいと思います。
(タワーレコード商品本部 板倉重雄)