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R&B/ヒップホップ・シーン最注目の存在!アンダーソン・パック インタビューが到着

Anderson Paak

 

昨年リリースされたドクター・ドレーの18年ぶりとなるアルバム『Compton』への大抜擢によって、あっという間にR&B/ヒップホップ・シーンにて大注目の存在となったアーティスト、アンダーソン・パック。『Compton』に続いて、今年リリースされたソロアルバム『Malibu』も高い評価を受け、さらに『Compton』参加へのきっかけともなったプロデューサー、ノレッジとのグループであるノー・ウォーリーズとしてのファースト・アルバム『Yes Lawd!』も今年10月にLAの名門インディレーベル、ストーンズ・スロウより発表するなど、次々と話題作を連発している。

遂にはドクター・ドレのレーベルであるアフターマスとの契約も果たし、ドクター・ドレの全面プロデュースによる次作も控えている彼に、9月の初来日公演が行なわれた翌日、彼の宿泊するホテルの部屋にてインタビューを行なった。

 

 

まず、最初にあなたの音楽的なバックグラウンドを知りたいのですが、十代の頃はどういったアーティストに影響を受けて育ちましたか?

「子供の頃からずっとスヌープ、トゥパック、ドクター・ドレ、ドッグ・パウンドといったウエストコーストものばかり聴いてたんだ。アイス・キューブ、ウエストサイド・コネクション、E-40、トゥショートとかね。高校に入った頃からイーストコースト・ヒップホップも聴き始めて、ジェイ・Zの大、大、大ファンだった。他にもカニエ・ウエストやリュダクリス、ネリー、キャムロン、ディプロマッツとか、イーストコーストも大好きになった。アンダーグラウンドものとかソウルフルなものとかは、高校卒業して少し大人になってから。実はJ・ディラ周辺のシーンも高校卒業後まで知らなかったんだ。その時初めて、自分が好きな音楽がこんなに沢山あったんだということを知ったんだ」



地元のオックスナードからLAに来てすぐ、サーラーのシャフィーク(フセイン)にお世話になったそうですが、彼から何を学びましたか?

「沢山あるよ。本当に沢山。彼は読書家で興味深い本を沢山持ってて、本当に情報通なんだ。古代エジプトのことも学んだし、イスラム教のことについても俺を開眼させてくれたのは彼なんだ。それに音楽のことも沢山。様々な異なる音楽についても彼から学んだ。家もなく、妻と産まれたばかりの赤ん坊を抱えていた途方に暮れていた時、『俺の家は抵当に取られてしまう予定だけど、それまでだったらうちに移り住めばいい』って言ってくれたんだ。俺は無一文だったから、とにかく労働で彼に恩返しをしたよ。彼のシェフでもあり、彼のお抱え運転手でもあり、ハッパ巻き係でもあった。とにかく彼といつも一緒にいて、俺をあらゆるところに連れて行ってくれた。俺にスタジオを使わせてくれて、彼のアルバムのために一緒に曲を書いたりした。彼のプロデュースの仕方っていうのが、スタジオの中で8時間ずっとただただハッパ吸って、ダラけてから、音楽を作り始めたりする。そこまでがプロセスなんだ。話したり、一緒に笑って過ごして、人として繋がってから、徐々に作っていく。どうやったら人とヴァイブし合って繋がって一緒に仕事が出来るかを学んだ。それに彼のプロデュースする音って、凄く緩くて幅があるんだ。パーフェクトなテイクを録ろうとするのではなく、(胸を叩いて)ここから出てくるヴァイブを見つける。自分がプロデュースや曲を書くときも遊びの部分を残すようになったのは、彼からその技を学んだから。元々は完璧主義者だったけど、彼からその方法を学んで、うまい具合に中和した感じがする」



先ほど、影響を受けたアーティストにラッパーの名前が沢山出ましたが、今のような(ヒップホップがベースにありながらも)歌をメインとするスタイルはどうやって作られていったんでしょうか?

「いろいろ試してみてそうなったんだ。それまではラップだけしてたり、歌うことだけやってたり、プロデュースしたりしながら、『自分の声が他とは違って引き立つ、ユニークなものにしなければいけない。他の人が真似できないような声を見つけなきゃいけない』と思っていた。それで、色んなことをやるのをやめて、ソングライティングに集中することにした。その頃からだと思うよ、自分だけのサウンドを見つけられるようになったのは。その時から全てを自分でやろうとしないで、プロダクションは他の人に頼むようになった。あと、俺がベスト・アーティストだと思うのは、人生において様々な経験をしてきて、その経験や人生を音楽を通じて人に語れる人だと思ってる。まさにそれが俺の強みだね。様々な人達と一緒に仕事が出来るようになるまで、音楽シーンで話題になるまでに、俺の強みはまさにそういう経験だった。そうやって模索しながら発見したのが今のスタイルなんだ」



ソロアルバム『Venice』からドクター・ドレの『Compton』を挟んで、最新作の『Malibu』という順番で作品が発表されたわけですが、『Venice』と『Malibu』での自分の中での違いはなんでしょうか?

「一番大きいのは自信。そして、ボーカル・アプローチにおいて、自分独自のサウンドを創り上げることが出来たこと。それが『Compton』を挟んで、『Venice』から『Malibu』の間で大きく変わったところだね。『Venice』を制作したとき、アルバムには収めきれないほど多くの曲があって、結局、数曲『Malibu』に収録したんだけど、『Venice』の時はそれらの曲は出せる自信がなかったんだ。個人的な内容過ぎたということもあるし、自分としては、もっとモダンでエレクトリックなものを出したかったというのもある。ソウルのアプローチを前面に出していいのかも不安だった。その間にもう一つ大きな転機になったのは、ノレッジと出会って一緒に仕事をするようになったこと。彼のおかげで自分のサウンドを固めることが出来た。全てが仕組まれたかのように物事が進んでいったんだ」



そのノレッジとのノーウォーリーズについて伺いたいのですが、彼とはどういうきっかけで出会ったんでしょうか?

「ブリージー・ラヴジョイ名義で出したアルバムのメイン・プロデューサーに教えてもらったんだ。それで俺もハマっちゃって。バンドキャンプやいろんなサイトから彼の音を引っ張り出して、何週間も彼の音楽だけ聴きっぱなしだった。ツィッターで彼のことをフォローしたら、数日して彼から俺に連絡くれて、『ファンだ』って言ってくれたんだ。それで彼に『もう何週間もキミの音楽ばかり聴いてるんだ』って話をしたら、ビートを送ってくれるっていうんだ。もう大興奮だったよ。まるでドレからビートを受け取るのと同じレベルの興奮度だった。彼が沢山ビートを送ってくれて、何週間もずっとそればかり聴いて、車の中でそれに合わせて曲を書いたりした。その時に書いたのが「Suede」と「Lyk Dis」。「Suede」を送り返した時、本当に緊張したよ。彼が送ってくれたビートを聴いてて、70年代のフューチャリスティック・ピンプやブラックプロイテーションのヴァイブを感じたし、いつもそこに惹かれてハマっていたから、俺も彼の音楽に曲を書く時はそういうアプローチになっていた。まるで自分の中から別人格が出てくる感じだった。彼には『これが最初の曲でレコーディングしてみたけど、もっと良くなるから』って言ったんだ(笑)。気に入ってもらえると思っていなくて、自分でも満足いってなかったぐらいだったから。まだ荒いなって思ってた。そしたら彼が『クレイジーだぜ』って気に入ってくれた。それが二人とも最初はこんなに大ごとになるなんて思ってもいなかったんだ」

 

 

 

「Suede」をまず発表して、それがきっかけとなってドクター・ドレから声がかかったというのは本当ですか?

「そうだよ。アフターマスのA&Rのタイ・キャノンが連絡してきて『ドレと一緒に仕事しないか?』って言われてたんだ。最初は嘘だと思ってた。『騙されないぜ』なんて思ってたんだ(笑)。でもとりあえず行ってみたら、いきなり最初に会ったのが、ドクター・ドレとD.O.C.で、『マジか?!』って(笑)。実際には、彼はまだその時、俺の曲を聴いたことがなくて、俺が誰だか知らなかった。『Compton』にはメインのソングライターが二人いて、彼らが俺の「Suede」を聴いて気に入ってくれてたんだ。俺は彼がまだ何も聴いてないって知らなくて、もし気に入らなかったら俺はスタジオから追い出されて、仕事はもらえないのかな?とか考えてたんだ(笑)。それですごく緊張してた。ドレも(ノレッジと同じく)好きなものは滅多にないって知られてるから。でも、彼に(「Suede」を)聴かせてみたら、ボリュームを最大にして、3回もリプレイしてたよ。D.O.C.もいて、『俺にもグリッツを作ってくれる女がいたぜ』って。3回聴いた後、『さぁ、仕事するか』って、ビートをかけはじめた。それを聴いたら、『まさに自分のサウンドだ、それだったら出来る』って思ったんだよ。それで彼に『ちょっとやらせてみてくれよ』って言ったら、『いきなりやってみるのか?』って。それで、その部屋で、ブースもないとこで、マイクだけ握って、「All In A One Day's Work」をライムし始めた。ドレも目を大きく開けて、興奮してくれたよ」



ノー・ウォーリーズの話へ戻りますが、今回のアルバム『Yes Lawd!』のコンセプトはなんでしょうか?

「制作の初期、曲を書き始めてアルバム制作という段階になった頃に、アプローチの方向性はなんとなく頭にあったんだ。ノレッジのビートを聴いただけで、60年代後半から70年代のヴァイブに引き込まれた。キャデラックに乗って、ブラウンリカーを飲んで、ファーのコートを着てるイメージ。その当時を知ってるわけじゃないけど、そういうヴァイブを身近に感じていた。そして、一人のプロデューサーがすべて手掛けているし、だからこそああいうサウンドになった。彼は本当に見事なアルバムを創り上げたと思う。細部まで計算し尽くされている。俺はソングライティングと自分がやるべきことに集中できた。ノレッジが本当にこのプロジェクトを最高のものに仕上げてくれたと思う。アルバムの頭から最後まで通してずっとプレイできる内容なだけでなく、それぞれの曲がどこで始まって、どこで終わってるか判らないほどに統一感があるんだ。それは彼の元々のスタイルでもあるけど、そこにボーカルが加わって完璧になった。おかげで最高のサウンドが出来上がったと思うよ」



アンダーソン・パック名義での作品と、今回のノー・ウォーリーズのアルバムの違いは何でしょうか?

「今回のアルバムはストレートなソウル・アルバム。自分のソロの作品では色んなことを試してる。ダイナミックなアレンジだったり。もちろん俺の音楽は全てヒップホップやソウルがルーツにはなっているけど、ソロの作品はダンスやロック、オルタナティヴの要素も取り入れて、幅広いサウンドをやっている。でも、ノー・ウォーリーズは、ソウル、ヒップホップのループに乗って、エッジの効いた土臭いソウルなんだ。真のソウル・アルバムと言える。プロデューサーが一人、ヴォーカリストが一人。アルバムにはフィーチャーは誰もいない。それだけでも、いつもの自分とはだいぶ違う。俺はコラボレーションが大好きだから。でも、このプロジェクトでは俺と彼の二人だけ。だからEMPDやアウトキャスト、ドッグ・パウンドのような伝説的なヒップホップ・デュオの感じに戻ってると思ってもらえればいい。MCとDJだけで作る音楽」



次のアルバムはアフターマスからリリースされるわけですが、ドクター・ドレと一緒にやることにプレッシャーは感じてますか?

「そこにプレッシャーはあんまり感じてない。俺はスタジオにいるときが一番リラックスしてるんだ。ショウを3回、4回続けてやらなきゃいけないって時のほうがプレッシャーを感じる。毎晩、お客さんを楽しませ続けられるかってほうがプレッシャーだよ。でもスタジオでの仕事は全くプレッシャーは感じない。感じるのは興奮だけ。唯一、ドクター・ドレに関してプレッシャーを感じるのは、彼がこれまでに手掛けてきた人たちの成功を思ったとき。でも、自分と他人を比べちゃいけないだろ? 今は時代が違うし、俺のストーリーも違う。エミネムやスヌープとは違う。だから、俺はドレと一緒に仕事が出来ることを、心から楽しみにしている。ドレも俺と仕事が出来ることを楽しみにしてくれている。彼は俺のようなアーティストと一緒に音を作ったことないし、俺も彼のようなプロデューサーと音を作ったことがない。だから二人で作り上げるものがどんなものになるのか本当に楽しみでしかたないんだ」

タグ : ソウル/R&B ラップ/ヒップホップ

掲載: 2016年12月08日 15:12