注目の美メロ&美声マシーン、オーガストが遂にデビュー

ジャスティン・ビーバー“U SMILE”、IYAZ“SOLO”、ショーン・キングストン“PARTY ALL NIGHT”、ミュージック“ANYTHING”など数々の世界ヒットを生み出し、あのNE-YOやワン・ダイレクションまでも手掛ける超一流のソングライティング力、そしてDEF JAMとの契約にもこぎつけた唯一無二のエンジェル・ヴォイスを併せ持つ、ギョーカイ最注目の超大物シンガー・ソングライター、オーガスト。待ちに待たれたデビュー作にして大傑作アルバムが登場!
ステレオタイプス、ボーイ・ワンダー、ザ・ランナーズなど、USポップス・R&B界が誇る超豪華製作陣による強力バックアップが実現した今作、R&Bファンの間で既に大人気の超絶美メロ・チューン“ユア・ウィズ・ミー”をはじめ、全曲が超美メロ&ポップで、泣けてアガれる傑作歌ものアルバム。近年の洋楽ヒット曲のエッセンスがこの1枚に凝縮!
AUGUST PROFILE
カナダのトロント出身、5歳のときから歌っていたオーガストは、モータウン25周年のライヴで初めて“ビリージーン”を歌いムーンウォークを披露したマイケル・ジャクソンを見た時、自分が人生で何をするべきかを悟る。早くからソングライティングだけでなくアレンジ、プロデュース、シンガーとしても活動し、ピアノ、ギター、そしてドラムスもこなすマルチ・アーティスト。NE-YO、レオナ・ルイス、アレクシス・ジョーダンなど、ビッグネームのソングライティングに携わる傍ら、ミュージック・ソウルチャイルドの『MUSIQINTHEMAGIQ』ではエグゼクティブ・プロデューサーも務める。2010年にはDEF JAMとアーティスト契約を結ぶ。
AUGUST Official Interview
■早速ですが、まずバックグラウンドから少し教えて下さい。トロント出身ですよね。いつ頃からNYへ?
生まれも育ちもトロント。学生の頃から、アルバイトをしてある程度お金が貯まると、すぐ車に飛び乗ってNYへ行っていた。GAPでも働いてたし、サングラス屋や映画館、モールにある感じのお店やサーヴィス店のありとあらゆる仕事をした。NYへ行けるだけの資金が貯まると、親父の車を借りて行く。それがルーティーンになっていたんだ。そうやって、バイトしては何度もNYへ行った。時には、休みをくれないバイト先は辞めてまで行ったんだ。僕にとってはそれが夢への旅だったからね。
NYへ行くと、レーベルのオフィスの前に立って、自分に気付いてくれる人を待ったり、デモをA&Rらしき人に渡したり、そこでミーティングの時間をもらえれば、そのずっと前から行って、周りに人達皆に挨拶し回ってみたりしたんだ。レーベルの前にうろちょろして、音楽業界にいそうだと思う人達みんなを追いかけまわしてたり、そうやって今のマネージャー、エリック・ニックスと出会ったんだ。
■どんなアーティストを聴いて育ちました?シンガーとして、また、ソングライターとして影響を受けたのはどんな人達ですか?
自ら進んで聴いた初めてのアーティストがマイケル・ジャクソンだった。彼の声にとても憧れてたよ。彼のスタイル、彼の全てに。それにスティーヴィー・ワンダー。ジョデシィも。イン・シンクが出てきた時の、あのジャスティン・ティンバーレイクの声には参ったな。
他にもたくさんいるけど、シンガーとしては特に彼らだね。ソングライターは、ベイビーフェイス。ビートルズも好きだよ。最近では、ブルーノ・マーズ、クロード・ケリー、リル・エディ、尊敬する素晴らしいソングライターは大勢いる。彼らからたくさん学んで、少しずつでも自分が成長出来たら嬉しいよね。
■子供の頃からシンガーになりたかったようだけど、ソングライターとしてはいつから自分で曲を書き始めたの?
正直、ソングライターになった自分は想像したことがなかったんだ。ずっとシンガー、アーティストである自分だけを想像して生きてきた。正直、ソングライターって職業があることすら長い間知らなかったんだ。アーティストはみんな自分の曲は自分で書くんだろうって思ってたから。(笑)15歳ぐらいの頃からだね、自分で初めて曲を書いたのは。自分の夢を叶えるには、そこに辿り着くまで必要だと思うことは必ずやるようにしてきた。
もちろん、それをサポートするために、バイトしたりしたけど、どんなに辛くても、シンガーになるという夢だけは色褪せなかった。そのために曲を書くことが必要だと思ったからやり始めた、という感じ。
■楽器は演奏しますか?
ピアノとギター。それにあまり上手くないけど、ドラム(笑)。 ピアノはまぁまぁだと思う。曲はギターを使って書く。ドラムは趣味でさ。LAにドラム・ルームがあって、そこで叩きまくるんだ。ヘタでも(笑)。それが今楽しくてしょうがない。実はDJにもなりたいって密かに思っててね。もちろん、全然上手くないんだけど(笑)。
■あなたにとって、これがプロとして最初のブレイクだったんだ!というのはいつ、どんなことでした?
マネージャーに出会ったのがブレイクだとは言えるけど、とにかく、ひとつのことが決まった途端、全てのことがアッと言う間に進んで行った。まず、エリックが僕を家においてくれたんだ。たくさんのプロデューサーやライター達が出入りする家で、そこでソングライターとして自分を磨いていったんだよ。トラックマスターズや彼ら周辺の人達と一緒に仕事をするようになったのもその頃。
そして、初めてメジャーで起用された僕の曲はアイヤズの“Solo”だよ。それがメジャー・アーティストに提供した最初の曲。というのも、トロントでは、地元のアーティスト達に曲は提供したりしていたから、プロとして初めてってわけではないけど、残念ながら彼らはトロントやカナダ以外でまだ活動してないからね。カナダで活動しようとも思ってたけど、どうしてか上手くいかなかった。だからずっとNYへ通い詰めたんだと思う。才能はあるからチャンスだけ。そう思ってた。アイヤズのすぐ後に僕の曲が起用されたのがジャスティン・ビーバーさ。
どういうイキサツでそうなったか詳しく話すと…。エリックから連絡があって、LAリードに会いに行くってことを聞かされた。デモの曲を聴かせるだけだと思ったんだけど、その日はエリックから、今回はアーティストに見えるような格好をするように、って言われたんだよね。それで、深くは考えず、レザー・ジャケットにブーツってスタイルで行ったら、持っていったデモを聴くなりLAリードからはまず<この曲はジャスティン・ビーバー用に欲しい>って言われたんだ。
その直後に、今度は、<このデモは誰が歌ってるんだ?>って訊くから自分だと言ったら、<アカペラで歌ってみろ。その服装からしても、アーティストなんだよな。だったら歌ってみてくれ>って。そして歌い始めたら、ちょうど曲の真ん中あたりで、LAが僕を止めたんだ。<マジソン・スクエア・ガーデンで歌ってるかのように歌ってみろ。俺を感動させてくれ。そうだ、イイ考えがある>と言って、彼のスタッフ全員を部屋に呼んだんだ。そして僕は全員の前で歌った。その場で契約とはならなかったけど、僕はLAリードと会って、彼が僕の曲を気に入ってくれて、彼とスタッフの前で歌えた、ってことだけで満足してたんだ。
僕はLAへ行って、曲を書いたりしていた中で、結局はソングライターとして正式にジャスティンに曲を提供することになった。そしてNYへ帰ってから、またLAリードとジャスティンの作品についてミーティングをしていて、話が終わったから帰ろうとしたんだ。そしたら、彼が、<どこに行くんだい?誰も何も言ってなかった?キミと契約したいんだ。デフ・ジャムに来てくれるかい?>って。僕は泣きそうになったよ。その時、マネージャーが僕の耳元で<今泣いたら、後で俺がもっと泣かしてやるからな>って(笑)」
■ということは、今もデフ・ジャムとアーティスト契約しているんですよね。でも、日本のマンハッタンからアルバムを出すというのはどういうイキサツで?今作にはミックステープからの曲も数曲収録されていますが、日本のためだけの特別企画ということ?
そう、ミックステープからも数曲収録したし、このアルバムは日本独占だよ。デフ・ジャムから発売するアルバムは『Planes, Trains and Automobiles』ってタイトルになるんだけど、まだいつ発売するかは決定していない。これから本格的に制作にかかるような感じだね。メジャーと契約していて、どうして日本独占で作品を発表したいと思ったかというと、やっぱりメジャー・レーベルは彼らのタイミングでしか動かないし、マンハッタン・レコードは僕が音楽をやっている意味や理由を本当に理解してくれた。自分が音楽的にどんな方向性でやっていきたいかも含め、全て理解して、サポートしてくれたんだ。
僕はやっぱり多くの人達に自分の音楽を楽しんでもらいたいし、求められているのに無視なんて出来ないよ。こういう形で、今の僕の集大成を発表するにはタイミング的にも完璧だった。マンハッタンから作品を発表したリル・エディとも僕は仲がいいから、マンハッタンの人達がどれだけ音楽を愛して、いつもポジティヴなことをやってるのをよく知ってたから、安心して任せてみようって思えたんだ。
アーティストとして、毎日、曲を書いて、プロデュースして、歌って、自分のペースでやり続けていきたいと思ってる。最近では歌うことより、ソングライター、プロデューサーとしての仕事が多くて、自分がアーティストとして歌うことが恋しくなってたんだ(笑)。だから、今回のプロジェクトは、そんな僕の想いと周りの状況、あらゆることがタイミング的にピッタリ一致した結果なんだよ。
■ここまで話を聞いていると、あなたが様々な音楽に影響を受けて、それを自分なりに取り入れながら自分の音楽を作っていると思いますが、自分で自分の音楽を説明するとしたら?
ジャンルとして<これだ>と名指しするのは難しいかもしれない。僕はアーバン・ミュージックを聴いて育ってきた。アーバン・コミュニティで育って、アーバンR&B、ヒップホップ、それ以外にも、ポップス、ロック、レゲエを聴いてきた、シカゴとかジャーニーも聴いた。レゲエに関しては、みんながビックリするくらいのレゲエ好き。自分があらゆる音楽を好きだから、自分はこういうタイプの音楽だけするんだ、ってことはやっぱり言えないんだよね。ぶっちゃけて言えば、僕は音楽だけやっていければいい、ってタイプでもない。音楽は大好きだし、自分の仕事。でも、音楽以外にも、ファッションやアート、クリエイティヴなこと全てに興味もあって、音楽にもそういう面が反映されてしまう。カントリー・ミュージックだってやってみたいと思うんだ。カントリーは大好きだよ。だから、そういう要素も含まれている。音楽って自分の気分に合わせて人が選ぶものだと思っているんだ。
■ソングライターとして、ヒット曲を書く自分なりの秘訣はなんだと思いますか?
秘訣があるかどうかわからないけど、キャッチーなメロディは大切だと思う。それと、最小限の言葉で表現すること。物語を語る時、ダラダラと話をするより、簡潔でわかりやすいほうがいいよね。曲も同じなんだ。最小限の言葉で最大限のメッセージを伝える。
今は、全てが便利な時代になったよね。何か欲しければすぐ買える。車の中からだろうが、ジョギング中だろうが、興味を持ったら、それをすぐに調べたり、購入したり、観たり、あらゆることが瞬時に出来るようになった。ということは、人の興味を一瞬で引くことがこの時代には大切なんだってことだと思う。シンプルなほうが興味を持ってもらえることがある。
それに、イイ曲はイイ曲だし、タイミングがよかったからヒットになるってこともある。だけど、大切だと思うのは、安定したメロディ、万人の人が理解出来て、たくさんの人が共感出来るようなシンプルで良いストーリー。その2つは最低限かな。
■実はあなたの経歴を調べていてちょっとビックリしたのは、ミュージック・ソウルチャイルドの『MusiqInTheMagiq』では、ソングライターとしてだけでなく、エグゼクティヴ・プロデューサーとしてもクレジットされていますよね?これはどういうイキサツで?
実は面白い話でね。実際にこの業界で地道ながらも活動してないと起こらなかったことでもあると思うんだけど、、、僕は昔から彼の大ファンでね。トロントで自分がショーをやるような時も、全曲、ミュージック・ソウルチャイルドでやったこともあったほどなんだ。それほど彼の曲は聴きこんでたし、自分でも歌い込んできたから、彼に曲を提供できるかもしれないって聞いた時には、絶対に大丈夫だって思ったんだ。彼を(アーティストとして)知りつくしてたんだから。
彼の為に1曲書いたら、すごく気に入られて、何曲も求められることになった。ジャスティン・ビーバーの”U Smile”を一緒にやってから、ジェリー・ワンダ(フージーズのプロデューサー)と一緒にスタジオに入ることも多かったし、なんとなく一緒に曲を作り続けていたって感じもある。
最終的には、僕が書いた曲がアルバム全体の構成や方向性を決める鍵になったみたいで、彼らがエグゼクティヴ・プロデューサーのクレジットをくれることになったんだ。すごく嬉しかったよ。ミュージック・ソウルチャイルドは大好きだし、彼には強い影響を受けてきたから、本当に幸せだと思った。
■さて、日本デビューのアルバム『Music Of My Life』ですが、錚々たるプロデューサーを迎えた作品になってますよね。
そうなんだ!すごく良いラインナップだろ?本当にラッキーだと思ってる。彼らと一緒に曲を書くことが出来て、クリエイティヴな関係になれたのは本当に嬉しいことだった。ステレオタイプス、ボーイ・ワンダ、ザ・ランナーズ等、素晴らしい人達が一緒に作品を作ってくれたことに感謝してる。今まで地道に様々なところで曲を書いて来て、そこから才能豊かなクリエイター達と繋がって、今に至ってる。幸せなことだよ。
■バスタ・ライムスも参加してますが、この“Here Comes Trouble”もアルバムに収録されている他の曲とはカラーが違いますよね。
そうだね。ランナーズと一緒に作ったんだけど、ポップっぽいことは間違いないね。バスタが参加してくれて本当に嬉しかったよ。これもタイミングが全てだってことを教えてくれた曲なんだけど、この曲が出来て、マネージャーに聴かせたんだ。ちょうど、バスタがクリス・ブラウンの曲(”Look At Me Now”)に参加して話題になってた頃さ。実はマネージャーのエリックとバスタは元々仲が良くて、2人で彼の話をしてて、彼に参加してもらうことは出来ないか訊いてみたんだよ。
それから24時間後、バスタから連絡があって、ちょうど6時間後にはヴェガスからLAに到着するから、LAのスタジオに来れるなら、レコーディング出来るって。それで僕はすぐに飛行機に飛び乗って、寝て、LAの空港に降り立ったら、バスタと待ち合わせのスタジオの住所が電話に送られてきた。全てがスムースになるべくして起こった感じなんだよ。
それに、NYに戻ってから、バスタから連絡があって、本当にその時録ったヴァースで気に入ったか確認してくれたんだ。すごく気に入ってはいたんだけど、ぶっちゃけもう少し早いバスタのラップが欲しいなとは思っていたから、正直に話したら、すぐに喜んでやり直してくれた。『ポップス寄りのほうがいいと思ってやったけど、スピード・ライムが欲しきゃ、お前の為に喜んでやるぜ』って。すぐやり直してくれた。最高だよ。そこまでしてくれる必要はなかったのに、彼からそうやって手を差し伸べてくれた。
■今回のアルバムの中で、最も今の自分を反映している曲は何だと思いますか?最も気に入ってる曲でも構いません。
絶対に訊かれると思った(笑)。参ったな~。でも、僕がどの曲を一番お勧めするかってことをファンの人達に知ってもらう為だろ?だったら、頑張って選ぶよ(笑)。そうだな、、、“You're With Me”だね。今はロマンティックな気分で、自分の愛する彼女を大切にしたいって気持ちに溢れてるから。あとは、“Music Of My Life”だな。僕と音楽の関係は、愛する人に匹敵するから。だからアルバムのタイトルにもなってる。(註:<僕の人生の音楽>という訳も出来ますが、人生で最愛の人という表現<Love of my life>をもじったものがタイトルの意)。僕にとっての全てさ。それと、“Songs About You”も好きだよ。恋をしたら、その子が恋しくても、大好きでも、ケンカしてイラついてても、大嫌いになっても、曲を書く。それが僕だから。好きな人が出来ると、必ずその子の曲が出来るからね。
■日本に来てショーもして下さいね。
もちろん!さっきも話したように、ソングライターになろうとは思ってなかったけど、それがキッカケでこの業界に入って、それがキッカケで自分の声を知ってもらえるようになって、歌うことが出来ている。アメリカで契約してレコードが出せればと思っていたけど、日本でこうしてアルバムを出すことが出来るなんて夢にも思ってなかった。だから、何でも可能だということだよね。実感してるよ。それに、とにかくショッピングが大好きだから、東京に早く買い物しに行きたいよ。スニーカーも限定のが売ってたりするんだろ?実は僕の友達がガガのギターリストで、この間東京で買ったっていう最高にドープな革ジャンを見せてくれてさ。どこだって言ってたかな・・・?そうそう、原宿!!早く行ってみたいよ。実は僕の従姉妹が日本で1年英語を教えてたんだ。だから彼女も色々教えてくれてる。もう行く気満々なんだ(笑)。
それにしても、そんなことを楽しみにする自分を1年前は想像もしてなかった。自分が大好きなことをやって、それで家族を養えるだけでなく、今まで行ったこともない場所に行けるかもしれないって想像することが出来るだけでも幸せだよ。昔は自分でお金を払って歌わせてもらってたんだから!ショーをするにも、300ドルしかなくても、自分でサウンドエンジニア雇って、ギタリストやピアニストを雇って、残りのお金をショーに来てくれた友達にご馳走しながら歌ってた。それが今、僕はこうして日本の人達に自分の音楽を届けることが出来るなんて最高だよ!本当に僕は幸せ者だと思う。どんなに才能があってもチャンスを与えられない人だっているわけだから。日本でみんなの前で歌うのを楽しみにしてる!
Interviewed by Kana Muramatsu
掲載: 2012年09月19日 15:28
更新: 2012年09月19日 15:37