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オトナタワーNo.008【RCサクセション】対談しようよ

掲載: 2015年11月24日 10:00

91年に活動休止したものの45周年の再発プロジェクトによりその存在感はさらに際立っているRCサクセション。ファンとしてまた東芝EMIのスタッフとしてRCサクセションを目撃してきた高橋Rock Me Baby氏にRCの魅力を訊く。「オトナタワー」誌面では2015年リマスター再発された81年までかつ一部をカットしましたが、ここでは完全版を掲載します。

オトナタワーRCサクセション

-バンド、RCサクセションの魅力の本質は??

高橋: 清志郎の歌と言葉だと思います。はじめて聴いても言葉が飛び込んでくる。それが僕たちの日常に直接的にリンクしていく。その威力は人生を変えてしまうほどです。ただそれだけではない。清志郎の持つ言葉のリズムを最大に活かすRCサクセションのバンドサウンドがある。だから、日本のオリジナル・ロックン・ロールが出来たのだと思います。
清志郎の歌詞には物語があり、日本語として独自のリズムがある。この言葉のリズムにポイントをあわせた演奏。普通のバンドにはない感性です。これは世界的に見ても、歴史的にも少ない。

-ふーむ。もう少し詳しく教えてください。

高橋: “雨あがりの夜空に”がいい例で、普通のバンドがこのようなスタイルの曲をやる場合、ギターのリフやドラムのビートが全体をひっぱるのですが、RCの場合はヴォーカルがグイグイ演奏をひっぱる。ギターではじまり、ドラムがきても、全てがやがてくるであろう清志郎のヴォーカルのための呼び水でしかない。そして、ビートというのは縦ノリ感覚が強いのですが、RCはビートではなく、日本ではじめてグルーヴを意識したバンドで、それは全て清志郎の歌に演奏のノリをあわせていたからだと思います。よく聴いているとわかりますが、「♪この雨にやられて~」と入った瞬間から全体の体感温度が上がり、ライブではほんの少しスピードがあがります。人間の肌で感じるスピード。ビートは身体で感じる。グルーヴは肌で感じる。
しかも、よく日本人の黒人音楽フォロワーや70年代以降の黒人ファンクバンドがやるような横ノリではなく、大きな球に乗っているようなグルーヴ。どこに連れていかれるのかわからない感情がグルーヴになっている。歌にあわせているといえば、ボブ・ディランとバンドがそうだったらしいのですが、どちらかというとやはりオーティス・レディングとブッカーT.&ザMGsに近いと思います。
初期のアコースティック編成も、中期~後期のバンド編成の時も、演奏の心臓は、言葉のリズムが決定していたのだと思います。

-清志郎はソロも含めサイドプロジェクトも多いのですが本隊であるRCサクセションとの違いは?

高橋: プロフェッショナルとしての存在感は、ソロやタイマーズ等の別ユニットのほうがわかりやすいですね。アンサンブル、いわゆる歌バンという舞台の上に立ち、シンガーとしてのとびぬけた才能を発揮する。歌が完全にバンドを操っている。シンガーとバンドの関係がはっきりしています。

-それを極めたのがソロでのNICE MIDDLEですね。

高橋: はい。しかしながらRCはパーマネントバンドなので、そこは決定的に違う。必要最小限の音しか鳴らさない。それは計算されたものではなく、清志郎の言葉のリズムを真ん中にした本能ともいうべき感覚ですね。この言葉のリズムにポイントをあわせた演奏。だから、歌も演奏も独自の揺らぎが生まれる。
凄いのは言葉のリズムに歌詞の二重三重の意味が重なり、行間からいくつもの感情を放っています。たまに出てくる一見、言葉遊びみたいな歌にもしっかり物語やメッセージを入れている。

-実は「リーダーがいない」という話も有名ですよね。ステージでは清志郎がフロントマンでもバンドメンバー間の絆は非常にフラットだったのかも、と想像します。

高橋: そうですね。リーダーはいなかったとは言われています。ただ、清志郎の圧倒的な歌と言葉が音楽的なリーダーシップになっていた。あの歌を、言葉を、一番近くで一番最初に聴いたら、誰もがそこに人生のチューニングをあわせるのではないでしょうか。バンドマンは音楽でしか存在できない。清志郎の凛としたバンドマンとしての佇まいが音になったバンドという表現がピッタリきますね!さらに凄いのは、メンバー全員がいろいろな音楽ができるので、それがスタジオで試されて、形になっていくことだと思います。だからRCの音楽は型や枠にはまらないジャンルのない音楽になる。

-たしかにロックン・ロール、ソウルというベースはあってもG2のニューウェイヴ感覚やBLUE DAY HORNのぶっとんだジャズ感覚がゴッタ煮になっています。ステージングのお手本はオーティス・レディングやザ・ローリング・ストーンズだったと推測しますが、レコードで表現している音楽性はそれだけではつかないくらいカラフル。

高橋: はい。よくRCはライブバンドと呼ばれていますが、僕はレコードとライブの両輪が実によく表現されているバンドだと思います。特に1980年以降は。『RHAPSODY』はライブの記録ですが…

-その『RHAPSODY』も純粋なライブの記録ではありませんよね。後年発掘された『RHAPSODY NAKED』で聴くと既に柱になっていたソウルショー的側面はオミットされ、ロックロールバンドらしい直球な選曲に絞り込みしながらもオーバーダビングを加えRCの魅力を凝縮する作り込みをしています。で、次作『PLEASE』でカラフルでポップな側面を披露するという引出しの広さ,,,

高橋: そう。スタジオアルバムで辿ると『PLEASE』はレコードだからこそできるトータルなエンターテインメントを追求。『BLUE』は音質によるバンドサウンドのリアリティーにフォーカスを絞っています。このあたりまでが、RCサクセションのロックン・ロールバンドとしてのひとつの集大成だと思っています。
※『RHAPSODY』『PLEASE』『BLUE』の3作は2015年10月7日にデジタルリマスター再発で一新されたライナーノーツも是非ご一読を!


-さて『BLUE』以降のRCサクセションは急展開します。『BLUE』発売が81年11月21日、12月24日には初の武道館ワンマン(『RC SUCCESSION AT BUDOHKAN』としてDVD化されている)、

翌年82年2月14日に忌野清志郎+坂本龍一名義でのシングル『い・け・な・い ルージュマジック』、6月23日にシングル『SUMMER TOUR』、10月25日に発売されたのがアルバム『BEAT POPS』。

バンドの知名度が加速度的に上がっていたころです。『BLUE』でロックン・ロールバンドとしての集大成を築いたあとの音楽的な展開をどう捉えますか?

高橋: その『BEAT POPS』はG2が中心となったアレンジで様々な音楽を融合させた色彩豊かなポップアルバム。そしてオリジナリティーが引き寄せたロックン・ロールの次の景色となった1枚ですね。
全体的には当時の先鋭的なポップミュージックのトッピングが効いています。しかも、それが不思議と古くならないのが凄い!時の経過を感じさせないニューウェイヴ。タイムレスな波のようなサウンド。このあたりはセッションマンだったG2の技が様々な局面においての決め手となり、それをファースト・コール・セッションドラマーだった新井田さんがさりげなく補強しています。G2と新井田さんは本当にいろんな音が出せる。清志郎は一芸に秀でている人よりも、いろんな音が出せる人が好きだったんじゃないかな。ポップスじゃなく、ロックでいろんな音を出せることに意味があり、それができる人はいまも本当に少ない。何より、清志郎はいろんな声が出せる超人であり、異端の中の異端であるとともにポップの真ん中。どんなジャンルも歌える。本当のオリジナリティーとは、奇抜や最新ではなく、同じ歌詞、同じメロディー、同じリズム、同じアレンジで歌っても「あいつ、凄いね!」と周囲を圧倒する凄さにある。演奏も同じで、同じ旋律を弾いている、または同じリズムを叩いているのだけど、「あいつとまたいっしょに演奏してみたい!」 と、多くのミュージシャンが感じる。それこそがオリジナリティーということではないでしょうか。

-アルバムとして充実していながら、ポップな意匠が共通する『PLEASE』に比べ後年に続くライブ定番曲が生まれなかったのはなぜでしょうか?“つ・き・あ・い・た・い”くらいですかね。

高橋: “つ・き・あ・い・た・い”を清志郎は気に入っていたようです。ひとりでアコギでもよくやっていました。このアルバムはスタジオの空気をパッケージしているので、その時にしかできないテンションが入っています。練り上げられたものではなく、それぞれがセッションマンのように集まり、その時のムードに焦点をあわせた。だから、ライブでの再現やさらなる追求が難しかったのだと思います。

-そして83年7月5日発売のアルバム『OK』。

高橋: 『OK』はハワイで録音されているので、南国のサイケデリック・ロックアルバムになっている(笑)!

-清志郎が体調最悪で曲作りも捗らず、最高のバラード“Oh! Baby”が生まれましたが“うんざり”では「♪もう働くのはうんざり」ですからね。“ドカドカうるさいR&Rバンド”浮いてしまうくらい実はダウナー。全然『OK』じゃないムード(笑)それが却って味わい深い。

高橋: RCの特徴として、その時期々々の心境がダイレクトに作品に反映されることも多く、これは清志郎のソングライティングに起因するところが大きいと思うんですが、事務所独立後のアルバム『FEEL SO BAD』(84年11月21日発売)でA面(BAD SIDE)は怒りに満ちた攻撃的な作品に,,,,

-A面は一発録音という話ですが、うってかわってB面(GOOD SIDE)はラブソング。ダブっぽかったりしてアレンジ、音作りが実験的。今聴いてもこのB面は鮮烈です。ただのライブバンドにはつくれませんよ。こういった方向付けはバンドメンバーの誰がしたのでしょうか?やはり清志郎が?

高橋: きっとそうでしょう。この時もそうですが、いつも清志郎は人とは違うことを考えていたようです。著書『ロックで独立する方法』にも書いてありましたが、常にポップとアバンギャルドのふたつの矛盾を抱えながら、自分だけの道を探していた。人間はいつも矛盾を抱えて生きているから、清志郎の歌は時代を超えて、人を感動させるのだと思います。

-次作はアルバム『HEART ACE(ハートのエース)』(85年11月21日)。

RCサクセション通ならみんな大好きな“ぼくとあの娘”“山のふもとで犬と暮らしている”など初期の楽曲が5人のRCらしいアレンジで収録されました。

高橋: 清志郎が売れない頃に作った曲のストックが功を奏し、珠玉のソングライティング・アルバムとなりました。
人気の高い曲である“ぼくとあの娘”はトリオ編成の頃からライブでやっていました(2013年発売の発掘ライブ音源『悲しいことばっかり』に収録)。

“GONE GONE”は清志郎の最も得意とするブルース的ライティングで、歌い方を変えると“ナイ-ナイ”(『BEAT POP』収録)にもつながる。“DRIVE”や“プン・プン・プン(オコリンボリンボ)”は『BEATPOPS』から『OK』、“横浜ベイ”は『FEEL SO BAD』の頃のストックだと思います。

-想像してもフィットしますね!とても質感やタッチが近いです。

高橋: そんな遠くはない昔から楽曲のストックを持ってきてはいるのですが、裏を返すとどの曲も構成力が緻密なので、なかなかそれまでのアルバムには入れづらかったのだと思います。特に当時はレコードだったので、意外にしっかりした曲が入らなかったりする。

-“わかってもらえるさ”も“君が僕を知ってる”もオリジナルアルバムには入ってない。ちなみに『HEART ACE(ハートのエース)』のV集『スペードのエース』

で“海辺のワインディング・ロード”“LONELY NIGHT(NEVER NEVER)”のスタジオ録音風景を観ることができますよね。また、このレコ―ディングについては『MUSIC MAGAZINE増刊忌野清志郎 永遠のバンドマン』に『MUSIC MAGAZINE86年1月号』の記事再録がありファンは必読ですね。

-そして清志郎ソロ『RAZOR SHARP』(87年2月25日)を挟んでの2枚組『MARVY』(88年2月25日発売)

です。チャボの小粋なバッキング技が冴え渡っています。また金子マリが加わって録音された初のアルバムでもあります。

高橋: ギターサウンドで構成されたシンプルでクールなロックアルバムとして昇華し、必要最少限の音で最高のグルーヴを出すというバンドサウンドも確立しました。
実はこのアルバムにはG2がレコーディングには参加していないんです。後にダビングで入っているのですが、G2が担うRCのカラーはあまり出ていない。『BEAT POPS』以降に進めてきたギターとキーボードのコントラストから一気に60年代ブリティッシュ・スタイルのギターサウンドに衣替えをした!僕たちが待っていた音でした。このあたりからもうシンプルの極みにいったと思います。そして、前述したように歌がバンドをひっぱる最もわかりやすい形になりました。他のバンドには絶対に出せないサウンド。、大きな球に乗っているようなグルーヴが、RCサクセションの専売特許として刻印されたアルバムとなりました。長い間、積み上げてきた年月が音になり、ノリになる。日本ではじめてそこに到達したバンドです。

-さらに『MARVY』と同年には『COVERS』(88年8月15日発売)を発表。

 

高橋: サウンドは前作の延長ですが、自分たちの原点である50年代60年代のカヴァー曲に、日本語で独自の歌詞をのせるという発明をしました。また多くのミュージシャンがゲストに参加したことにより、5人にしか出せないグルーヴが鮮明になり、前作とともにRCサクセションのサウンドは、ここにひとつの完成形を刻印しました。
しかし、その副作用は思わぬ方向にバンドを導き、メンバーそれぞれの温度差が浮き彫りになっていったのかもしれません。次作…

-『コブラの悩み』(88年12月16日発売)へ。『COVERS』と地続きのライブ盤。『COVERS』未収録の洋楽日本語カヴァーなどオリジナルアルバム未収録曲が多数収録されオリジナルアルバムの性格も併せ持っています。

高橋: この作品で5人のRCサクセションは終わりを告げることになります。そんな状況を表すかのように、他の追従を許さない独自のRCサウンドが鳴っています。跳ねるように、必要な音しか存在しないが、その音は太く鋭い!

-当時はバンドブーム。沢山のバンドがデビューする状況のなか、RCサクセションと泉谷しげるwith LOSER、山口冨士夫のTEARDROPSの3バンドは異様にドスが効いていたと記憶しています(笑)

高橋: G2、新井田耕造が脱退して、3人になったRCのラストアルバム『Baby a Go Go』は、1970年代の3人のRC~1990年までの約20年間を総括するような内容で、歌、演奏、楽曲は、それまでどのアルバムよりもシンプルで飛びぬけています。テクノロジーが人間を越え、レコーディングで音程やリズムまで機械で修復できるようになった1990年に、RCは一発で決めるアナログ録音をやり、そのへんのバンドには出せないサウンドで、時代に風穴を開けました。

-ちょうどRCがデビュー20周年。アルバムがCD再発もされたりと当時のお祝いムードは田舎の高校生であった自分の記憶にも残っています。(ちなみに、今回のオトナタワーの表紙のエンブレムはRC20周年キャンペーン当時のエンブレムをリスペクトを込めて45周年版にさせていただきました。)また前年89年にタイマーズが出現、チャボさんも90年2月にソロ2nd『絵』を発表、とソロプロジェクトが活気づいていました。

高橋: 結果的にこのアルバムがRCとして最後の作品となり、バンド史上最も売れたアルバムとなり、レコード大賞優秀アルバム賞を受賞しました。RCの最後の曲であるアルバムのクロージングナンバー“楽LARK”では、「♪ハゲシイこの職業 わずかでも多く 遠くを見たい 遠くを見ていたい」と歌っています。この場合の遠くとは、もちろん距離のことではなく、生き方のことで、人の基準にあわせるのではなく、どんなに暗く哀しいときも、自分を信じていくことだとおしえてくれています。社会や周囲に関係なく、自分の信じたことで戦う。デビュー曲と同じことを20年が経過しても歌っている。いまの時代にもあてはまります。清志郎が預言者と言われる理由がわかります。

-高橋Rock Me Babyさんはその『Baby a Go Go』の頃は東芝EMIに在籍されていましたよね。アルバムにも「Public Relation」としてクレジットされています。

高橋: はい。RCサクセションのレコード会社の宣伝担当をしていました。いまで言うアーティスト担当。主な仕事はアーティストをどうやって世の中に仕掛けていくかをプロデュースすることで、おもしろいことをいっぱいやりました。それは話すと長くなるので、いつか本に書きます (笑)!

-(笑)せっかくの機会なので『Baby a Go Go』についてもっと詳しくお聞かせください。

高橋: G2が脱退し『Baby a Go Go』のレコーディングに入っていく頃4人のRCサクセションになった瞬間がありました。4人でやるレコーディングのリハーサルが東芝EMIテラスタジオで3日間あったのですが、毎日立ち会いました。収録曲を決めるためのリハーサルでしたが、テープをまわす場面もあり、たぶん50曲~60曲くらいやったと思います。

-50~60曲も!すごいですね!

-その4人でのリハーサルを経て本番のレコーディングに入っていった形ですね。

高橋: 本番のレコーディングは芝浦ベイブリッジスタジオで行われたのですが、この年は20周年ということもあり、プロモーション活動も超多忙でしたので、清志郎はひとりでフル回転でした。しかし、そんな中、新しい曲を作ってきたり、歌詞を全部差し替えたり「一体、いつ寝ているのだろう?」というくらい清志郎はまさに超人でした。レコーディング明けなのに、長い撮影や取材に全力でやってくれて、またレコーディングに戻る、、、。
「曲を作るのに時間なんて関係ない。大切なことは、気をつかまえることだ」とも言っていました。人前では見せないのですが、昔から清志郎は半端じゃない練習で常に集中力を鍛えていたようです。やはり、天才は努力とストイックと集中力が人並みはずれているのだと実感しました。いっしょに長い時間過ごしていても、そんな様子は一切見せない。凄いです。

-そしてラストアルバムとなった『Baby a Go Go』(90年9月27日)が発表されます。

高橋: このアルバムは難産でしたが、僕はとても好きなアルバムです。生楽器を主体としたロックン・ロールアルバムで、時代とともに、音がくっきり浮かび上がってきます。まるでビンテージのアコースティックギターのように時間の経過とともに音が立ってくる。もちろん発売当時のインパクトも凄かったですが、いま聴いても新しい。レコーディング前にG2が抜け、途中で新井田耕造が脱退して、キーボードとドラマー不在でレコーディングを続行。どこに着地するかわからない状態が続いているときも、清志郎は次々に様々なアイディアを試している。その他にも様々なゴタゴタがあり、周囲からはレコーディング中断の声が出ていたのですが、それは絶対にしなかった。清志郎は本当にしなやかで、ピンチの時にも、それを受け入れて、流れを変える。

-RCサクセションとしては90年12月25日の日本武道館公演が最後のライブとなり無期限活動休止を発表しました。

高橋: アルバムとしては『Baby a Go Go』でピリオドをうちました。清志郎の凛とした佇まいが音になり、存在しているアルバムであり時とともに輝きを増しています。これはロックン・ロールのマジック。RCサクセションの魔法だったのだと僕は思います。アルバムを聴くとわかりますね!毎回、発見がある!まだまだこれからも発見がいっぱいありそうです。魔法とは何かな?と考えたのですが、理想や完璧にならないことだと思います。理想はすぐに穴があき、完璧は完璧であることを望むあまり、知らない間に折り合いをつけていく。両方ともとてもつまらないです。ロックはアーティストのメッセージが半分、残りの半分はリスナーのイマジネーション。聴く人が入れる隙がある。理想的な生活やパーフェクトな人がつまらないように、ロックン・ロールも完成してしまったら、そこからマジックは生まれない。いつも未完成だから、もっともっとと貪欲になり、オレはここにいるぜ!って、時間や時代を突き抜けて、歌っている。聞こえてきますね!いつも、オレはここにいるぜ!オレはこんふうに思うけど、君はどォ―なんだい?って!完璧や理想になんてなりたくないから、いつも問いかけてくる。スーパースターなのに、上からでもなく、僕たちと同じ場所から歌う!誰にも解けない魔法は、これからも生き続けていく。だから、この対談も未完成のままでいいのかもしれません(笑)

フリーペーパー『オトナタワー』でも足りませんが、結局WEBでも足りませんでした(笑)いつか続きを!そしてわざわざこのページに訪れてくれた皆様に感謝します。

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高橋Rock Me Baby (me and baby music代表。忌野清志郎特命係!)
「me and baby musicのロゴは清志郎さんの娘さんで、いま話題の新進イラスト・ゴムハンコ作家の百世さんが作ってくれました。HPを開くと出迎えてくれます。→http://me-and-baby-music.com/

聞き手:タワーレコード梅田大阪丸マルビル店 店長 村越辰哉

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